江戸時代はエコな時代?
所属:跡見学園女子大学
インターン生:M.Mさん
はじめに、皆さんは江戸時代がとてもエコでサステナブルな社会だったといことはご存じでしょうか?現代では欧米などを中心に「SDGs」や「CO2削減」などが声高に叫ばれていますが、その最先端を行って実現していたのはなんと江戸時代だったのです。この記事では実はかなりエコだった江戸時代を掘り下げ、紹介していきたいと思います。
江戸時代ってどんな時代?
江戸時代は1603年~1868年までの約260年間の期間を指します。その当時は徳川家康が天下統一を果たし、江戸時代初期や幕末の少しの期間を除けば、戦争という脅威にさらされずに済む安定した世の中にありました。加えて江戸幕府は鎖国政策(オランダと中国以外の国との交易、外交を厳しく管理した政策。)を執っていたため、外国からの輸入品に頼ることなく、食料需給率100%を実現していました。これはエネルギーにも同じく言えることです。
ちなみに今の日本の食料需給率は令和5年時点で38%(農林水産省)、エネルギー需給率は13.3%(経済産業省資源エネルギー庁)と江戸時代に比べてかなり低いことが分かります。
また、身分制度はしっかりと存在していました。「士農工商」と呼ばれるものです。上から武士、農民、職人、商人という位置づけです。
武士は苗字帯刀が許され、戦争がないため、今でいうサラリーマンのように自身が所属する藩の藩主に仕えていました。階級の中では1番上の立場でしたが、全体の約7%であり特権階級でした。
農民は士農工商の中でも作物を育てる位置にいたため、大変重要な立場でした。全体の約85%を占めていましたが、職人や商人よりも多く税金をかけられていたため、百姓一揆が頻繁に起こっていました。
職人は江戸時代の代表的なものを挙げると、大工、左官、鳶の3種で、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていたように当時は火事も多く発生していたため活躍していました。
最後は商人です。1番下の階級なのは、儒学の影響で金儲けすることは悪とされていたためです。しかし、貨幣が重要な役割を担ってくると商人たちは、庶民や武士にさえ金を貸すようになり、彼らたちより力を持つようになっていきました。
以上のことから、町人や商人らが活躍の場を広げ、町人文化が花開く時代となりました。
また江戸時代、特に1645年~1715年にかけて地球全体が寒冷期であり、米や野菜などの作物が収穫しづらい時期でもありました。そのため百姓一揆が頻発しており、江戸四大飢饉と名を残すものもあります。そのため江戸時代に生きる人々はあまり裕福とは言えない生活のなかで、知恵をしぼりエコな生活を編み出して行きました。
町人の生活
さて、ここでは、江戸時代の町人たちの生活を見ていきましょう。
現代の私たちは将来のためであったり、税金を支払ったりするために貯蓄はかかせません。
一方江戸時代の町人たちは、貯蓄をせずとも今でいう単発のアルバイトで稼げたり、俸手振り(魚や野菜などをてんびん棒で担ぎ売る人)といった仕事で比較的容易に稼げたりとその日暮らしでも生きて行ける手段が多くありました。
実はこの棒手振りには江戸時代のエコに関係しているのです。棒手振りは基本1人仕事なため、身軽にどこへでも行くことができます。そのメリットを活かし修理屋や行商、古着回収、ゴミ回収など多くの仕事が展開できました。それぞれ紹介していきます。
修理屋
まず修理屋の仕事内容について説明します。この仕事は壊れたものをほぼなんでも直すことができるものです。この修理屋と一口にいっても細かく分かれていたそうです。
修理屋は、依頼主の持ち込んだ品物を修理するだけでなく、その品物のメンテナンスや改良も行っていました。具体的な仕事内容には以下のようなものもありました。
- 焼接ぎ(やきつぎ):主に破損部分の修理物品を扱います。壊れた部分や損傷した部分を修繕する作業。例えば、裂けた着物の補修や、壊れた家具の修理などです。
- 靴屋:部品の交換: 主に消耗品や壊れた部品を交換する作業を行います。草履や下駄の底の張り替えや部品交換などです。
- 家具屋、和裁屋:主に清掃とメンテナンスを行います。 日常的な手入れや清掃です。例えば、家具の磨き直しや、着物のしみ抜きなど多岐にわたります。
- 家具屋:主に家具のカスタマイズを行います。 顧客の希望に応じて、物品をカスタマイズすることもありました。例えば、着物のデザイン変更や、小間物類のリメイク、家具の改造などです。
簡単にまとめると、江戸時代の修理屋は、生活に欠かせないサービスを提供する重要な職業でした。町人の生活の中で必要とされる修理やメンテナンスを行い、町人たちの仕事や日常生活を支えていました。また、修理技術や知識は熟練の技術者によって受け継がれ、地元コミュニティの中で高い評価を受けることもありました。
古着回収
江戸時代の古着回収は、現代のリサイクルやリユースの概念に近いものでした。江戸時代はかなり古着屋が多く、町人たちが着ている着物の大半は古着であるほど馴染み深いものでした。ここでは古着屋の仕事内容と回収された布のリユース等を紹介していきます。まずは、古くなった衣服や布類は、以下のような方法で再利用されていました。
- 古着屋(ふるぎや): 古着屋は、不要になった衣服を回収し、洗濯や修理をして再販売する商売をしていました。古着屋は町の中に点在し、町人が不要な衣服を持ち込むと、買い取って修理・清掃して再販売しました。古着の状態や流行に応じて、商品としての価値が決まっていました。
- 布の再利用: 古着は、そのまま着用されることもあれば、布として再利用されることもありました。破れた布や使い古した衣類は、布団や座布団の中身として使われたり、掃除用の布として再利用されたりしました。また端切れとして古着屋でも売られており、袖や着物の裏地にアクセントとして利用されていました。
余談ですが、古着回収の方法にはいくつかの形式に分かれていました。
- 町内回収: 定期的に町内を回って古着を回収する商人おり。特に街中では、古着の回収が行われており、回収業者が町内を巡回していました。
- 個別の依頼: 住民が自らの不要な衣服を持ち込み、古着屋での買い取りや交換を行うこともありました。古着屋は店舗を構えている場合が多く、そこで直接取引が行われていました。
以上のことをまとめると古着回収は、資源の無駄を省くための大切な活動でした。江戸時代の町人たちは、限られた資源を大切に使う意識が強かったため、古着の再利用は非常に一般的なことでした。
江戸時代のゴミ回収
続いて、江戸時代のゴミ回収についてです。現代のように、ある会社がすべてを担って、ゴミが回収されていたわけでも、組織化されてもいませんでした。ここではゴミ回収の商人たちの仕事とそれらのリサイクルとリユースを紹介していきます。 当時は以下のような方法でゴミ回収が行われていました。
ゴミ回収商人の仕事
- 役割と仕事内容: ゴミ回収商人(または「ごみ屋」)は、町や村を巡回して住民からゴミを集める役割を果たしていました。彼らはゴミを回収し、整理して、リサイクルや再利用のために持ち帰りました。
- 取扱品目: ゴミ回収商人は、特に不燃物や再利用可能な資源を重点的に集めました。例えば、紙くずは再生紙として利用され、金属や瓶などは再加工されることがありました。
- 集めたゴミの処理: 回収したゴミは、専用の処理場で処理されたり、リサイクルされたりしました。また、再利用可能な資源は、必要とされる場所や工場に供給されることがありました。
ゴミのリサイクルとリユース
ゴミとして回収されるもののなかで、代表的なゴミの種類とゴミのリサイクルとリユースを紹介します。
- 家庭ごみ: 主に食品くずや紙くずなどが含まれていました。農民たちの間ではゴミを分別して、畑や庭に埋め、肥料として使用することが一般的でした。また、一部は飼い犬や飼い馬の餌として利用されることもありました。
- 不燃物: 瓶や陶器、金属などの不燃物は、町の指定された場所に集められ(江戸幕府が設けていたそうです。)、専門の業者が処理していました。また、これらの材料は焼接ぎなどの手によって、再利用やリサイクルされることもありました。
リサイクルと再利用
紙の再利用
紙は再利用の対象として非常に重要でした。古い紙や紙くずは集められ、再生紙として加工されました。紙を再生する技術は発展しており、使用済みの紙は一度溶かして、漉きなおし、新しい紙製品として生まれ変わりました。
布の再利用
布や衣類も再利用されました。古くなった衣服はほどかれて布として再利用され、布団や座布団などに使われました。
瓶や陶器の処理
瓶や陶器などの不燃物も再利用されることがありました。これらは修理されて再利用されたり、必要な形に加工されたりと利用されました。
油の再利用
行灯(当時の照明器具で風が吹いても消えにくく、持ち運びが可能な器具。)の油に菜種油を使用したり、イワシやクジラの油といった「魚油」呼ばれる油も使用されたりもしたそうです。なおこの油は燃えた時大変臭いがきついそうです。
ゴミ回収における町内の衛生管理
江戸時代、清掃活動は景観を守る観点だけではなく、人々の健康を守る大切な役割のためにも行われてきました。ここでは衛生対策と悪臭対策について紹介します。
- 衛生対策: 街の衛生管理の一環として、ゴミ回収や処理が行われていました。町の美化や清掃のために、特定の場所にゴミを集めるようにすることで、町内の衛生状態を保つ努力がされていました。
- 悪臭対策: ゴミを適切に処理することで、悪臭や病気の発生を防ぐ努力がされていました。集積場は町の外れに設けられ、町の中心部からは距離を置かれていました。
江戸時代のゴミ回収は、現代のシステムとは異なり、より地域コミュニティに根ざした形で行われていました。しかし、資源のリサイクルや再利用の意識が高く、生活に役立つ形での処理がなされていたことが特徴です。
まとめると、江戸時代のゴミ回収は、環境への配慮から行われていたわけではなく、生活の一部として実施されていました。しかし、リサイクルやリユースの意識が高く、物の無駄を省くことが重要視されていました。ゴミの処理や回収も、町の清掃や美化の一環として行われていたと考えられます。
大名・武家の生活
次に江戸時代の大名・武士の生活について触れていきます。
大名は主に領地管理とその内政の取り組み、参勤交代を行っていました。領地管理と内政は自らの領地を管理し、そこに生活する領民の生活や経済活動の管理を行い、定期的に領地を巡回しながらその地域(村)ごとの行政や治安の維持に努めていました。
参勤交代に関しては、大名が定期的に江戸に赴き、幕府に忠誠を示す制度です。大名は通常、1年ごとに1回、江戸と自身の領地を往復しなければいけませんでした。この制度は、大名の財政を圧迫し、また江戸に滞在する期間中は幕府の監視下に置かれることになります。参勤交代の移動には、多くの家臣や荷物を伴い、長大な行程が必要でした。このため、経済的な負担が大きく、また大名の領地の統治にも影響を与えました。しかし、この制度は幕府が大名を分散させることで中央集権を強化し、また江戸の繁栄を支える役割も果たしていました。
一方武士の役割として、領地の治安維持や藩の内政業務に従事しており、考え方としては、1つの会社のように組織化されている中で働いていました。また藩から給与を支給され、それに頼って生活していました。経済的には安定していましたが、小さな藩に所属している武士や下級武士と呼ばれている武士たちは経済的に厳しい生活を余儀なくされている人もいました。また副業は禁止されていました。
以上が大名・武家の生活です。
続いて大名・武士が行っていたリサイクル活動とリユースです。町人たちと比べて贅沢な生活でエコな取り組みからは縁遠いと思われがちですが、実際には意外にも以下のような世の中の根幹を担っているリサイクル活動などに取り組んでいました。
- 武士の装備や衣服のリサイクル: 武士たちは戦いに備えて多くの武具を持っていましたが、戦争が少なくなるとこれらの武具は時折リサイクルされました。例えば、古い鎧や武具の金具や皮革部分が新しい装備に再利用されることがありました。また、衣服も擦り切れたり古くなったりすると、裁縫を施して再利用することが一般的でした。
- 大名の家臣間での物資の譲渡: 大名の家臣たちが使わなくなった物品や道具は、他の家臣や領民に下げ渡されることもありました。これにより、資源の無駄を最小限に抑えることができました。家臣間での物品の譲渡は、家臣たちの間での絆を深める手段ともなりました。
- 古い建材の再利用: 城や大名の屋敷の改修や再建時には、古い木材や石材を再利用することがよくありました。例えば、古い城の石垣や木材が、新しい建物や修復作業に使われました。これにより、資源の節約とともに、伝統的な建築技術が受け継がれることになりました。
- 農作物や生活用品のリユース: 江戸時代の日本では、農作物で残ったものや生活用品の使い終わったものも再利用されることが一般的でした。例えば、食料の残りや廃棄物は肥料として使われることが多く、無駄が少ない生活が営まれていました。武士や大名の屋敷でも、こうした再利用の考え方は広まっていました。
- 書物や文書のリユース: 古い書物や文書も再利用されることがありました。例えば、古い文書の紙が再度使われることがあり、また古い書物のページが日常生活で使われることもありました。これは町人たちの生活にも通じるところがあります。
- 大名の排泄物のリサイクル:江戸時代において排泄物は農作物を作るうえでは大切な肥料の1つでした。特に大名の排泄物は町人と比べると、大変栄養価が高い食事を日々摂取していたため、高値で取引をされていました。こうした肥料が畑で使用され、そこから農作物が収穫されます。最終的には多くの人々が購入する商品となり循環していました。
農民(百姓)の生活
続いて、江戸時代の農民の生活です。主に農業を生業としており、自給自足を基本とし、米や野菜を栽培して生活していました。農作業が中心で、田畑の管理や収穫、労働は家族全員で行いました。生活は質素で、食事は主に米、野菜、魚介類で構成されていました。収穫物の一部は年貢として領主に納める必要があり、これが経済的な負担となることが多かったです。また、村内での協力や助け合いが強調され、共同体の結びつきが重要でした。生活は自然と密接に結びつき、四季の変化に応じた作業が行われていました。
以上が農民たちの生活でした。
それでは最後に江戸時代の農民たちのリサイクル活動とリユースを見ていきましょう。
- 農作物の再利用と肥料利用: 農民は収穫後の作物の残渣や廃棄物(稲の籾殻、野菜の葉など)を肥料として再利用しました。これにより、土壌の栄養が保たれ、次の作物の成長を促進しました。また、動物の糞や家畜の排泄物も堆肥として使用し、農地の肥沃化に役立てました。
- 道具や衣服の修繕と再利用: 農作業に使う道具や衣服が壊れると、農民はこれらを修繕して再使用しました。木製の道具は割れた部分を補修し、布の衣服は縫い直して使い続けました。古い道具の部品を取り外して、新しい道具の部品として再利用することも行われました。
- 竹や木材の再利用: 竹や木材は、割ったり削ったりして多用途に再利用されました。竹は籠や器具の材料として、木材は修理や新しい道具の製作に使われました。古くなった道具や器具も、修理して再利用されることが多かったです。
- 保存食と食品のリサイクル: 収穫物や魚介類を干したり漬けたりして保存食を作り、長期間の食料確保に役立てました。食品の残り物もスープや煮物に利用し、無駄にすることなく活用しました。
最後に
これまで「江戸時代はエコな時代?」と銘打ち町人たち、大名・武士、農民たちのエコな活動を紹介していきました。ご覧の通り、江戸時代は非常にエコでサステナブルな時代だったということが分かったかと思います。ただ江戸時代のエコ活動では、現代の高度な技術が必要な環境保護対策は難しいものでした。たとえば、化学物質や有害廃棄物の適切な処理や分別は不可能でした。
また、広域にわたる環境保護(京都での森林伐採によるはげ山の増加など)や鎖国の影響で、国際的な協力も発展しておらず、グローバルな視点でのエコ活動は存在しませんでした。このような視点では江戸時代も完璧なエコ社会ではなかったとも言えるでしょう。 現代にも通じる、日本のリサイクルや再利用していくという観点は実は江戸時代から引き継がれてきたものだったと思うとこれからも続けていかなければならないと感じます。この記事を読み少しでも皆様の関心が向いてくだされば幸いです。