人権にかかわる「環境正義」という問題
所属:早稲田大学
インターン生:M.Fさん
近年地球を脅かす環境問題として、皆さんはどのようなものが思いつくでしょうか?「気候変動」、「食品ロス」などいくつか考えられると思いますが、みなさんは「環境正義」という問題を聞いたことがありますか?こちらでは、世界や日本で実際にどのような「環境正義」に反する差別的問題が起きているか説明していきます。
今回のキーワードである「環境正義」とは、環境負荷が不平等にもたらされている状況を不正義とする概念のことです。肌の色や出身国、所得の多さにかかわらず、誰もが公正に扱われ、安全な環境で暮らせるようにと提言する社会活動のことを指します。世界中には、様々な異なる特徴を持った人々が住んでいますが、その違いによる差別を禁ずる考え方のひとつです。
似た言葉「気候正義」とは?
皆さんの中には「気候正義」という言葉を聞いたことがある方がいらっしゃるかもしれません。しかし「環境正義」と「気候正義」は大きく意味が異なります。「気候正義」とは、気候変動に対する負担や利益を公平に共有しようとする人権的な視点からの考え方のことを指します。この背景として、先進国の人々が化石燃料を大量に消費したことで起きた気候変動による被害が、あまり使用していなかった途上国の人々へと及んでいる現状があります。
2010年代から、気候変動は国際的な人権問題であるという認識が広がり、世界中で気候正義を求める社会的運動が行われました。また、2021年に開催された国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)では、「気候正義」という言葉が頻繁に登場しています。
もはや世界では気候変動を単なる「地球温暖化」という物理的事象として捉えるのではなく、「気候正義」という人権問題の一種として捉えることが一般的になりつつあります。
環境正義問題の起源
環境正義という概念が生まれた社会問題は、1982年のアメリカ、ノースカロライナ州で発生したウォーレン郡の抗議行動です。この事件では、PCB(ポリ塩化ビフェニル)で汚染された土壌を黒人が多く住むウォーレン郡の埋立地に運ぶという計画に対して、住民や公民権運動の活動家が反対し、逮捕者を出すほどの激しい抗議行動が行われました。
この事件は、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)による「不公平な負担」(Unfair Burden)という報告書の作成や、アメリカ合衆国エネルギー省による環境正義局の設置など、環境正義に関する政策や研究のきっかけとなりました。1980年代のアメリカでは、これ以外にも人種や肌の色に関係なく平等に安全な環境で暮らせるよう求める社会運動が多く発生していました。
これらの運動の中で環境正義という概念が生まれ、さらに有色人種などのマイノリティーや社会的弱者が、一方的に環境汚染の被害を受けていることを指す「環境レイシズム」の概念も同時に生まれたという背景があります。
環境正義の要素
環境正義の要素については、現在でも学者間で活発な議論が行われています。しかしこちらでは、一般的に挙げられるものを紹介します。
- 配分的正義:環境リスクや環境対策による利益を関係者全員が公平に受け取れるようにすること
- 手続き的正義:意思決定の進め方が公正であること
- 承認的正義:現在起きている差別・環境正義に反する問題を正しく認識し是正に向けて行動すること
- 参画的正義:関係者が意思決定のプロセスに平等に参加できること
- 能力的正義:社会的な資源を利用し、人類の威厳を持って共同体を発展させていくこと
- 先住民への環境正義:先住民独自の知識・文化を西洋科学と同様に尊重すること
以下でそれぞれをもう少し詳しく説明します。
配分的正義
環境リスクや環境対策による利益を関係者全員が公平に受け取れるようにすることです。例としては、ごみ処理施設や化学工場など大気汚染をもたらす原因の多くが、富裕層によって利用されていることが主な一方で貧困層の黒人コミュニティが住むエリアに集中しているという現状があります。
また、白人の方が大気有害物質を引き起こす原因となる商品やサービスを多く消費するのに対して、黒人やヒスパニック系住民の方が、白人より大気有害物質濃度の高い地域に住む傾向があると報告されています。その結果、その有害物質によって引き起こされたがんなどの病でなくなる率が有色人種の方が圧倒的に高いというデータも出ています。
以上の例のように、環境問題の原因に関わる人たちとそれによる被害を受ける人たちが異なり、不平等な状態となっていることを配分的正義が達成されていない状況と考えられています。環境問題を引き起こした人たちがしっかりとその責任を負うこと、また環境問題対策による利益は全員に享受されること、この2点が求められています。
手続き的正義
意思決定の進め方が公正である状態を指します。意思決定のプロセスとして現代社会では様々な形の民主主義が主流です。民主主義は一見平等で正しい方法に見えますが、実はそこにも差別的要素や不平等なプロセスが隠れているというのが現状です。
例えば、以前とある地域の先住民が環境問題による影響の調査をすべきだと声を挙げたのですが、結果的にはその調査に最も金銭的援助をした人がその調査方法を決めていいという結論になりました。それにより、富裕層が調査方法の決定権を得、結果も富裕層にとって都合のよいものとなってしまったのです。このような状態は許されず、誰もが納得のいく形で意思決定プロセスがすすめられる必要があります。
承認的正義
関係者が意思決定のプロセスに平等に参加できることです。言い換えると、現在起きている差別・環境正義に反する問題を正しく認識し是正に向けて行動することです。こちらは、政府や富裕層など、比較的強い立場にいる人たちが環境問題における差別的不平等な状況を把握し、認めることが求められるという考え方です。
有色人種や社会的弱者などの環境正義問題で影響を受ける側の人々は、そもそも環境正義を実現しようとする政府などの機関においても少数派であるケースが多いです。そのため、そもそもこれらの問題を認識してもらえないことが多く発生しています。
参画的正義
関係者が意思決定のプロセスに平等に参加できる状態です。こちらは、「手続き的正義」の前段階のものになります。意思決定プロセスを実行する前に、関係者となるべき人が全員考慮されているかということを判断するための項目です。「環境正義問題の起源」という項目で出てきたアメリカ、ノースカロライナ州の例を使用すると、PCBで汚染された土壌をどこに運ぶという議論の中で黒人の参加権がなかったことがこの差別的問題を引き起こされたということになります。
能力的正義
社会的な資源を利用し、人類の威厳を持って共同体を発展させていくことを目指す考え方です。こちらは少し難しい考え方になるのですが、人間としての威厳を考慮して、人類が共有すべき資源による利益や環境問題による負担を平等に受けおうことで人間社会という共同体が最も発展できるという提言のことを指します。この要素は、具体的に何かを達成できているかいないかという指標ではなく、概念として環境正義の促進をすすめています。
先住民への環境正義
先住民独自の知識・文化を西洋科学と同様に尊重することを言います。こちらは環境正義という概念が生まれたアメリカならではの概念だと思います。定義としては、西洋科学や西洋の宗教と同様に先住民の宗教・知識・文化などを尊重すること環境正義の実現に一歩につながるという考え方です。
「先住民への環境正義」を実行させた例として、タイの川沿いに住む先住民の活動が挙げられます。タイ政府の独断でその先住民が住む川にダムを建設したのですが、その結果先住民の生計を脅かすような環境問題が発生するようになりました。そこで先住民らは独自の方法でその被害を測定し、政府に提出しました。結果的に、タイの首相と会談する機会を得ることができ、ダムの運転停止という結論を勝ち取ることができました。これは、首相という立場の高い人間が先住民独自の科学を尊重した結果といえるでしょう。
環境正義の3つの次元
- 国家間
- 国家内部における中央政府と地方自治団体間
- 個人間
以下でそれぞれを詳しく説明していきます。
国家間
こちらの次元では、先進国と発展途上国の二者対立が主な問題となっています。一つ目の例としては、現在SDGsや環境問題の認識が進むなかで、以前に環境破壊をすすめた先進国が、最近の新たな環境基準で発展途上国を規制することが挙げられます。また、先進国の多国籍企業が途上国に安い第一次産業材の供給を強いて、大量の環境破壊を招くようなケースも存在します。この国家間の環境正義問題のひとつに、気候正義の問題があるとも考えられるでしょう。
国家内部における中央政府と地方自治団体間
「環境正義」の問題において最も多く、今回この記事でも注目しているのが中央政府と地方自治体の関係になります。中央政府が一方的に国土開発政策を実現しようとする場合、環境破壊が一部地域に集中し、環境正義が否定されることが多くあります。例としては、反対意見の少ない地域に核廃棄物の処理場を作ったり、発言力の弱い人々が居住する地域にごみ処理場を集中させるなどのケースがあります。そこには国内での政治力のバランスが関係しているといえるでしょう。
それは政治力が弱いところに環境問題などの負担が押し付けられがちだからです。そのため、地方自治の独立やエンパワーメントが重要です。上記のような、政府という強い立場に抗えない地方自治団体という関係性による問題だけでなく、他のパターンもあります。それは地域開発や補助金などのためあえて迷惑施設を誘致することです。地域住民は誘致に反対していたとしても、誘致による利益のみを重要視している地方自治団体の権力者が誘致を決定させている問題が発生していると考えられます。
地域開発が環境破壊を招く場合がありうるということを考えると、このような近視眼的政策を阻止する制度も必要です。いずれにせよ環境問題の被害者は発言力の弱いところに集中するという差別的問題に注目し、是正を目指さなければなりません。
個人間
高所得層の人々は余計にお金をはらうことで安全な食品や生活物資を獲得し環境破壊の影響を避けることができるが、貧困層の人々はそうした危険に無防備であるであるという現状があります。アメリカでも、近年環境問題として洪水の増加が挙げられていますが、富裕層は逃げ道がある一方で貧困層はそもそも洪水の多い地域に住まざるをえず移住も難しいという格差が起きています。世界的な例としては、近年気候変動により夏のエアコンの重要性が高まってきている一方、貧困層はエアコンのようなクーリングへのアクセスが乏しいという問題が起きています。
世界における環境正義問題の例
まずは、環境正義という概念が生まれたアメリカでの深刻な例をいくつか紹介します。アメリカ・ルイジアナ州南東部のセントジョンザバプテストという地域は、古くから黒人居住地区として知られています。そしてミシシッピ川沿いのおよそ137kmに150以上の化学工場や石油精製所があり、この地域住民のガン罹患率は全米平均の50倍にものぼります。
これは発がんの可能性が高いとされるクロロプレンの排出のためとみられ、この地域には「キャンサー・アレー(がん通り)」の名がつけられているほどです。そこにある化学工場や石油精製所で精製される原料をもとに作られる製品は、結果的にアメリカ全土の人々、特に富裕層の人々に消費される現状を考慮すると黒人の人々が負担しなければならないものの大きさに驚かされます。
アメリカのニューメキシコ州では、核兵器の材料になるウラン鉱山が発見されました。しかしここは1830年に制定された「インディアン移住法」によって、多くのアメリカ先住民が強制移住してきた地です。そのため、アメリカ先住民の多くがウラン採掘に駆り出され、被曝したという過去があります。そして彼らは現在も、その被害に苦しんでいるそうです。
アメリカ外として、アフリカでは近年大規模な干ばつが頻発し、何千万人もの人が食糧不足などに苦しんできました。干ばつの主な原因は、地球温暖化による気候変動だと考えられています。にも拘わらずアフリカで排出する温室効果ガス排出量は世界の排出量のわずか2~3%ほどと少なく、多くは先進国で排出されています。このように、先進国が主な原因で気候変動が引き起こされ、アフリカや東南アジアなどの発展途上国がその被害を受けているという不平等なケースが多いのが現状です。
日本における環境正義問題の例
日本は多国籍国家ではなく、先住民という概念も薄いのですが、都心部に住む人々と郊外に住む人々という二者対立の中で環境正義問題が起きています。環境への被害やリスクが大きい施設は都心部ではなく郊外につくられることが多いものの、その利益の多くを享受しているのは都心部に住む人々なのです。原子力事故が起きた福島第一原子力発電所を例にとると、発電した電気は東京電力を通じて首都圏に送電されていました。その一方、事故による惨状からわかる通り、避難や生計を奪われることを余儀なくされたのは、発電所近辺の住民らでした。
この問題には、配分的正義と承認的正義の問題が主に見つけられ、またこの事件そのものが風評被害という形で近隣住民に対する差別の新たな要素となったことも大きな人権問題のひとつといえるでしょう。日本のもうひとつの例は、沖縄の米軍基地問題です。特に現在渦中の辺野古移設問題は、当初沖縄県民の意向関係なくアメリカと日本政府のみで決定されたことでした。それは手続き的正義と参画的正義が達成されていないということです。
また、初めは移転に反対していた住民でしたが、移転による経済的利益が政府から見込めるとわかってからは、負担に目をつむって移転を許可する方向に転じたという経緯も判明しています。これは一種の「国家内部における中央政府と地方自治団体間」の環境正義問題といえるでしょう。そもそも米軍基地を置くことによる住環境への負担を考慮すると、その負担を沖縄県に押し付けている形になっていることも大きな問題となっています。
世界の環境正義への取り組み
環境正義を取り上げ、取り組みを発表している国に、環境正義の生みの親であるアメリカがあります。アメリカでは、環境正義に対応するために1992年にアメリカ環境保護庁(EPA)に「環境正義室」が開設されました。さらに、ジョー・バイデン大統領は、大統領選挙中から「環境正義」への取り組みを公約として掲げており、これを受けてEPAは2021年4月、環境正義の推進に取り組むことを宣言しています。
ドイツでは環境情報法と呼ばれる法律が制定されました。こちらの法律は、一般的な情報公開法とは別に環境破壊の現状とその危険性に関する情報公開を定め、恣意的な例外や抜け道を阻止するものとなっています。
また近年では、2020年にアメリカで起きた「Black Lives Matter運動」が環境レイシズムにつながる問題として挙げられるでしょう。これをきっかけに、黒人への暴力や人種差別の撤廃を訴える運動が世界中に広がり、人権問題と深く関わりのある環境正義問題も解決へと動き出している状況です。
まとめ
今回は、人種や地域によって、不均衡にもたらされる環境被害を是正しようという環境正義について取り扱いました。平等への道のりは、人種差別や気候変動など世界的な問題に限らず、日本国内や私たちの周りを見ても向き合うべき課題が山積みだといえるでしょう。
また、政府や国際機関などに頼るだけでなく、一人ひとりが差別に関する考え方や姿勢を改めていく必要もあるといえます。日々増大していく環境問題の原点で何が起きているのか、私たちの生活は誰かの苦しみの上で成り立っていないのか、知る努力をし、知ったうえでその状況を改善していくことが不可欠です。