食に想いを馳せる
所属:一橋大学
インターン生:K.Kさん
私たちが現在暮らしている豊かな国日本。しかしその豊かさは決してすてきな豊かさではありえない。毎日いったいどれほどの、まだ使用可能な食材が廃棄されているか皆さんはご存知でしょうか?この記事を読んだ少しでも多くの方の意識が食糧廃棄問題の解決に向かうこととなればうれしく思います。
世界の食料不足問題
「世界食料デー」をご存じでしょうか?こちらは1981年から、国連によって毎年10月16日に定められた世界共通の国際デーのことです。世界の食料問題を考えようという日になっています。
しかし私たちが暮らす日本では馴染みのない問題であるように感じます。食事があたりまえに存在するがゆえにこの問題はあまり大きく取り上げられることがないのです。
なんと現在世界では約8億人以上の人々が飢餓で苦しんでいます。しかし、決して世界で生産されている穀物の総量が、不足しているからというわけではありません。食料自体は足りているにもかかわらず、飢餓で苦しむ人々が存在する理由はいったどこにあるのでしょうか?その理由として下記が挙げられます。
①食料価格の高騰
経済的に貧しい人々ほど、生活費における食費にかかる割合が大きくなります。つまり国際市場での食料価格が高くなればなるほど、先進国諸国がより多く食料を入手するということです。
②生産された穀物を家畜の飼料としている
世界で生産された穀物のおよそ4割が先進国諸国において消費されており、またそのうちのおよそ5割が、豚や牛、鶏などの家畜のエサとして使用されています。このように世界では不平等による食糧不足から、多くの人が飢餓で苦しみ、また命を落としているのです。
日本における食糧廃棄
こうした中で私たち日本人はたくさんの食料を入手することができているものの、それと同時に多くの食料を廃棄してしまっています。たとえばある飲食店では、提供する食品において不要となった、まだ使い道のある食材の一部を捨てることはよくありますし、またあるファストフード店では、お客様が注文を途中で変更してしまったために、新しく作られた商品がごみ箱へと捨てられていきます。
こうした食品の廃棄の現状は、驚きを隠せないものであり、農林水産省『海外における食品廃棄物等の発生状況及び再生利用等実施状況調査』によりますと、なんとその数、年間1900万トンにものぼる食品が廃棄されているのです。
主要国比較を行うと、アメリカ合衆国では年間5900万トン(United States Department of Agriculture より概算)、イギリスでは年間約1200万トン(農林水産省)、中国では年間3600万トン(『中国の食品廃棄物循環利用の現状と課題』より)となっており、一人当たりの廃棄量を考慮すると一人あたり130㎏となり、日本は上記4ヶ国の中での決して少ないとは言えない量となっています。
実際、日本で廃棄される食品量は、約7000万人もの人々が1年間食べていける量だという計算になります。また「食品ロス」、つまりまだ食べることができる食品の廃棄はおよそ640万トンともいわれており(環境省調べ)、この量は東京都民が1年間に食べている量とほぼ同じ量であり、たくさんの食品ロスが出ていることがわかります。
また、世界の食料援助量は320万トン(2014)であるため、世界全体で支援される量のおよそ2倍の食品を、日本国内で捨てているということなのです。それではいったい誰がこれほどの量の食品を捨ててしまっているのでしょうか?
多くの方が大半の食料廃棄について、コンビニやデパートなどの企業による食品廃棄をイメージするかもしれません。しかし現実はそうではありません。消費者由来の食品ロスはおよそ300万トン、つまり日本国内における食品ロスの半分は私たち消費者によるものなのです。
つまり私たちひとりひとりの食料の無駄遣いを省くことで、途上国における食糧不足問題の解決はぐっと近くなることでしょう。ではこうした食品の廃棄が行われてしまっている原因とはいったいどういったものなのでしょうか?
食品廃棄の原因
①賞味期限に対する意識
まず賞味期限に対する過剰なまでの反応があげられます。買い物に行けばよく見受けられる光景ですが、ある人は手前ではなく奥から商品を取り出し買い物かごにいれます。
またある人は高く積み上げられたお弁当を崩し、下にある商品を取って買い物かごにいれていきます。どうしてでしょうか?紛れもなく賞味期限を意識しているからです。
私たちは賞味期限が近い商品を忌避する傾向にあります。この結果店側では売れ残ってしまった商品を廃棄しなければならないという問題が生じてしまうのです。
それではここで「賞味期限」とは何であるのかを確認しておきましょう。賞味期限とは、袋や容器を開けないままで、「品質が変わらずにおいしく食べられる期限」のことです。
つまり、多少期限を過ぎたとしても、食べられなくなり捨てなくてはならないものだ!とはなりえないのです。また企業は賞味期限を短めに設定しているということをご存知でしょうか?
食品メーカーが商品を作ってから、出荷して店頭に並ぶまでの間の温度管理が、必ずしも一律になりえないという理由から、企業は実際の賞味期限よりも2割以上短く設定しています。
こうした賞味期限を過ぎても、実際は長く食べることが可能な食品の一例をあげてみましょう。みなさんもこれの扱いはかなり注意するのではないのでしょうか?
それは「たまご」です。なんと卵は気温の低い冬場であれば、およそ50日間にもわたって「生で」食べることができるのです!!日本の卵の賞味期限の設定は、暑い夏場に生の状態で食べることができる期間を前提にして定められているので、気温の低い冬ならば、さらに長く持つとのことです!
これはつまり加熱するならば、さらに長期間の保存が可能であることを意味しています。また採卵日から10日ほど経った卵は「す」(茶碗蒸しなどにできる気泡)の原因となる二酸化炭素が抜けているために、調理した際にはぷりぷりの触感が楽しめるとのことで、海外などでは有名なのです。
②キラキラインスタ映え
ここ最近になって若者の間で人気となってきている、いわゆる“インスタ映え”。SNSでの“いいね”を多数獲得するがために、立ち入り禁止エリアに入って写真を撮影したり、桜の木の枝を折ったりとで、テレビでも頻繁に取り上げられ世間を騒がせていました。
しかしその波は決して観光地にとどまることをせず、私たちの一般生活にも入り込んできています。味やにおいではなく“見た目”にとにかくこだわった食品が、いたるところで販売されるようになりました。
消費者の目的は周囲の人からの“いいね”であり、決してその食品にあるのではないのです。そのためしばしば問題となるのが、写真を撮影し、SNSに投稿し終わってからの食品の処理方法にあります。
もちろん食べる方が多いのは事実ですが、そっくりそのまままるごとごみ箱へと捨てられてしまう、とても残念なケースも見受けられます。
廃棄コストはあなたの財布から
この題を見て少なからず驚いた方がいらっしゃるのではないでしょうか?そう、実は食品廃棄にかかる費用は私たちが支払っているのです。例えば食品の廃棄で多々メディアによってとりあげられることがあるコンビニエンスストア。
スーパーマーケットと価格の比較をした際に、値段が高いと感じたことはありませんか?それもそのはず、実はコンビニの食品は廃棄することを前提に価格が設定されているのです。
また24時間営業による夜間の開店は、光熱費や人件費がかさみます。さらにスーパーとは異なり仕入れの単位が少なくなることも、コンビニの食品価格が高いことの理由の1つです。
また食品業界では「欠品ペナルティ」というものが存在します。これは食品メーカーの製品が発注数だけそろわずに納品ができなかった際に、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの小売店に対してメーカーが支払わなければならない罰金のことです。
また、欠品させて商品棚を空けてしまうと、他社のメーカーによって、スペースをとられる可能性もあるため、欠品による不利益を生み出すぐらいなら、捨ててしまった方がましだ!という考えに結びついてしまいます。
この欠品ペナルティですが、メーカー自身はもちろん負担をしたくないため、商品の価格に上乗せすることになります。つまり私たちが頻繁に見る、美しいほどの欠品のないあの商品棚に対して、私たちは観賞料金を支払っているようなものなのです。
諸外国の対策
例えばですがこうした問題は決して日本だけでなく先進国諸国の問題でもあります。そうした中で、各国はこの問題を重く受け止め様々な対策を講じてきました。下に一例をあげてみます。
- アメリカ合衆国では、外食の際に出た食べ残し食品を持ち帰ることを推奨しています。
- フランスでは、2016年の2月から「食品廃棄禁止法」という、法律を制定することで、売れ残りや賞味期限切れの食品を廃棄することを禁止し、廃棄量に合わせて罰金を徴収することになりました。また、余った食品は貧困層へと行き届くようにボランティア団体への寄付が義務づけられています。
- デンマークでは賞味期限切れの専門店がオープンされ、かなり安い価格で商品を販売しています。
- スペインでは地域ごとに「連帯冷蔵庫」を設置し、一般家庭や飲食店から出る食品のあまりをこの冷蔵庫にいれることで、貧困者の手に届くようにしました。
日本における食品廃棄対策
そんななか私たちの国日本においても、インターネットの発達を受け、食品廃棄の対策がとても身近なものとなってきました。フードシェアリングサービスアプリの登場です。
『TABETE』というアプリでは、東京都23区を中心に、食品が余ってしまい困っているおよそ300店舗の加盟店からおいしくまた安く、食品を廃棄という手段からレスキューすることができるのです。
クレジットカードでの決済が可能となっており、お店でお客様はスマホの画面見せるだけで商品を受け取ることができるというサービスとなっています。
しかしこれには反対意見もあるようで、「ほとんどが東京限定であり、使える範囲が狭すぎる!」であったり、「フードロスに貢献しているとは思えないような高い価格設定が行われていたり」と、現実はそこまで甘くないようです。アプリに対するコメントの多くは、コンセプトには賛同するが、やはりまだまだ実現には遠いというコメントが寄せられていました。
また最近ニュースになり世間をにぎわせたのが、大手回転ずしチェーン店である「くら寿司」が、寿司料理の製造時に出た食品ロスをハンバーガーの魚肉にして出すというものです。
こうした食品ロスの対策が他企業にもみられると、日本にある企業が一体となってその流れに乗り、また、消費者がそうした商品を積極的に購入することで、ますます食品ロスの問題にブレーキがかかっていくのではないでしょうか。
食品廃棄に対する学生の意識
次にこうした食品廃棄問題に対して行われたアンケート(福岡雅子、藤倉まなみ、花嶋温子、岡山朋子『大学生のアルバイト先での食品廃棄経験と廃棄に対する意識の実態』)についての結果を見てみましょう。
食品関係のアルバイトをしている大学生に聞いてみた結果が下の図にまとめられています。上の図は「初めての食品廃棄を見た際の気持ち」です。
また、さらにもうひとつ下の図は、「食品廃棄作業に対してどのように思うか」という質問に対しての回答です。図から明らかな点は、やはり多くの人々にとって、食糧廃棄という問題は、継続されるべきではないという認識が存在するということです。
その一方で円グラフから、食品廃棄は普通であるとの回答も目立ちます。ここに関しては、やはりよくないことだとわかっていながらも、そうせざるを得ない状況にまで、頭が慣れてしまったという風に読み取ることが可能です。
つまり、日本の食品関係でアルバイトをする者たちにとって、余ってしまった商品は問答無用で捨ててしまおう!というのが当たり前なこととして浸透してしまっているのです。
もっと身近に感じてみる
食品が、いったいどれほどの貴重な資源から作られているかをもっと身近に感じてみましょう。それに適しているのがこの「仮想水」という考え方です。
これは、食料や畜産物を輸入する消費国が、自国でそれらを生産すると仮定した際に必要となる水の量を推定したものです。例えばハンバーガー1個を作るにあたって必要な水の量は、2400リットルにも及ぶという計算結果がでています。
パンの原材料である小麦、レタス、トマトそして牛肉などが生産される過程で使用されたと推定される水をすべて足した値がこの数字となります。日本人が1日に1人あたりおよそ200~250リットルの水を使うと言われています。
つまり私たちの暮らしのおよそ10日分の水が、ハンバーガー1つに使われているということです。環境省が提供する仮想水計算機というものがありますので、気になる方はぜひこちらのURLをご覧ください。
またUNICEFよりますと2017年時点の報告で、世界ではなんと21億人(世界人口の10人に3人)が安全な水を自宅で入手できないということです。また安全に管理された水を使用できない21億人のうち、8億4400万人は基本的な飲み水さえ入手することができず、このうち、2億6300万人は往復で30分を超える時間をかけて水を汲まなくてはならず、1億5900万人は、河川や湖などの地表水から汲んだ、未処理の水を飲んでいます。こうした現状からも、食糧廃棄がいかに深刻な問題であるかがお分かりいただけるかと思います。
解決策とは
この問題の難しい点は、何を問題の根本に据えるかによって、まったく異なってきます。例えば、諸外国も含めた私たちが現在行っている食品ロスなどの対策を上に記してきましたが、これらが解決しようとしているものは、あくまでも国内での不要とされてしまった食品を国内で消費しようとするものです。
この結果、日本での食品廃棄が1000万トンの減少に成功したとなれば、これは素晴らしい成果であることに間違いありません。しかし、考えてほしいのは途上国の食料不足問題なのです。つまり私たちが犯している罪は、廃棄量の問題以前に、世界の生産量の取り分に大きな問題があるということです。
ここぞとばかりに廃棄問題を批判するがあまり、ことの本質を見失ってはいけません。しかし国際市場においての影響力を私たち個人が大きく持っているわけではなく、また政府にとってもその解決は容易ではありません。
だからといって他人事では済まされない、常に頭の中においておくべき問題です。そんな力のない私たち個人にできることは、食前の形骸化してしまった「いただきます」の挨拶から、毎日の食事に対するありがたさをかみしめて、日々の食事に臨むことなのかもしれません。